後期(管理入院28週〜出産35週)

・管理入院初日の出来事

 「
子宮口が開いてきています。すぐにでも入院してください。
 二人の胎児の体重に差が出始めました、
双胎間輸血症候群の疑いも
 あるので至急検査します。

とうとうこの日が来た。28週に入ってすぐのことだ。
早期入院は覚悟していたものの、30週を過ぎてから
だろう、と思っていた私は馬鹿だった。

予定日より3ヶ月早く、私は病院のベッドに貼りつけられることとなった。
入院した1月15日は、東京でかなりめずらしい大雪の日だった。
大雪で、クルマ走らないから、今日は入院やめようよ。」と私は
ちょっとワガママ言ってみたら、パパはNG。
将は、ママが入院してしまうショックからか、38度以上の高熱を出していた。
それなら入院やめる!と私がごねても
パパは、お腹の大きな私を、ホットレモネード片手の将をひっぱって、
買ってまだ半年の4WDのクルマを走らせ、一路病院へ。

 将は熱があるので、病院の産科入り口までしか入れない。私はここで
将とお別れすることになった。
将ちゃん、ママこれから赤ちゃん産む練習するからしばらくお家に帰れないの。
 パパとお留守番しててくれる?

このセリフ言うか言わないうちに、
将の前では絶対に泣くまいと思っていたのに、私の目には涙があふれていた。
いやだよ、僕ママといっしょにいる。」まだ3才の将、こういうのは当たり前。
ママのお腹の赤ちゃんに、お兄ちゃんのかっこいいところを見せてあげて。
 ママも将と離れるのはすごくいやだけど、ママは将のかっこいいところも
 見たいな。
」と私が言うと、「ウン…」以外とあっさり将は納得してくれた。
ママ、土曜日に来るからね。
将のうれしい一言。ほんとうにこの子はやさしい子に育っている。
きっと良いお兄ちゃんになってくれるんだろう。
でも土曜日なんて言わないで、もっと来てよ〜〜〜さみしいから〜〜〜

私は、将がパパと病院を後にする姿をまともに見ることができなかった。
その画像が潤んでしまったというのもあるが、直視するのが耐えられなかったのだ。
甘ったれの将がママと離れて暮らすなんて出来るのか、
私は不安で不安でたまらなかった。

二人の姿が見えなくなると、私は嗚咽に近い状態で、大泣きしていた。
大粒の涙がぼろぼろと落ちて、気がつくと床がびっしょり。
あんなに泣いたのは…父が亡くなった時以来かもしれない。

 かくして、私の長期入院生活が始まった。予定日は3ヶ月も先だ。
双子は一般には早く生まれるとは言うが、ゴールの見えない入院。
しかも双子が保育器にでも入ることになれば、子どもたちだけ入院なんてことも
十分ありえる。
いったい、いつ家族揃って暮らせるようになるのか…
不安ばかりが先行して、私はどうにかなってしまいそうだった。
(3週間目に私はキレた。
この話はこちらでどうぞ。

双胎間輸血症候群(そうたいかんゆけつしょうこうぐん)
 一卵性特有のものらしい?
 一人の胎児がたくさんの血液を母体からとりこんでしまって多血症となり、
 もう一人の胎児が貧血状態となって,体重に差が出てくる。
 この状態が極端になってくると、一方が胎内で死んでしまうこともある。
 双胎間輸血症候群の診断が下りたら、30週すぎに帝王切開で、母体の
 外に出さないと危ないらしい。

・1日4回のドップラー、毎日モニター

 ドップラーってご存知だろうか。出産を経験した人ならわかると思うが
 胎児の心音を確認するための器械で、妊婦のお腹にマイクをあてて音を聞くのである。
 この器械を持って、看護婦さんが巡回に来る。
 「
りょこぴさん、今日はどうですか〜。お腹張りませんか?
  今日は赤ちゃんたち、どのへんに居ます?

 「
今日はね、こことここらへん。ゆうべ回転したみたいで、今日はふたりして
  胃袋蹴るのよ。もうまいっちゃう。

 なんか、こう書いてみると妙な会話…でも妊婦はこういう会話をする。
 「ドキドキ…」ああ、今日も二人は元気だ。
 胎児たちの健康管理(っていうのかなぁ)は心音で判断されているようだ。
 心音をチェックするのは、ドップラーだけじゃなくて、
 モニター(陣痛分娩監視装置だったっけか?)もある。この器械は、胎児の心音、
 心拍数、母体の陣痛の間隔を測り、折れ線グラフにして出力する。
 別名チャンピオンベルトと呼ばれ、そのベルトに聴診器のでっかいのが
 ついているような器械だ。その聴診器を、胎児がいるであろう位置にあてる。
 うちは双子だから、聴診器が2個、母体のお腹の張りをみる聴診器が1個
 合計3個の聴診器がくっつく。そう、この器械は、双子専用なのだ。
 品胎(三つ子)以上は、この器械と単胎用の器械と、二つ使うらしい。
 …お疲れ様です…
 このモニターをやっている間は、とうぜん身動きなんてとれない。
 しかも最低1時間。でもこの器械、とっても大切なんですよ。
 5分間隔の陣痛に気づかなかったこの私、毎日のモニターのおかげで
 見つかったんですから。経産婦なのに、ああ情けない…
 
・病院の設備ーこれはちょっとまいった編
 
 入院すると、まめにチェック(内診)がある。
 それはそれで安心なのかもしれないが、どうもあれは好きじゃない。
 好きな人はいないと思うが、妊娠後期のしかも二人の胎児を抱える私にとって
 こんなにつらい姿勢も無い。それだけで破水しそうだ。
 私が腰掛けると、この椅子がグイーンと上昇して、
 先生の目の前のポジション。(あー書いてて気分わりぃー)
 しかも…極めつけ!!なのは、
 
内診台にカーテンが無い……ガガーン
 目の前に先生がいるのである(男)。とうぜん目と目があう。
 医者だと思えば気にならない、いつもならそう思える私でも
 さすがにこれは抵抗があった。夫の前だってこんな姿さらしたこと無いぞ。(ToT)
 せんせい、子宮口をぐいぐい押す。いてーーーっ!
 「
あー、これは(胎児の)頭じゃないね、お尻だ。逆子治ってないよ。
 「
はあー。そうですかあ〜」なんて、マヌケ面して返事する私。
  だってマヌケ面でもしなきゃ、こんなカッコさせられてやってらんないよ〜
 今はカーテン付いたのかな?カーテンくらいどうってことないじゃない(経費)。
 あーカーテンレールも要るのね…

・なかなか美味しかったご飯ーメニューの選択制度

 これは最近導入されたものらしいのだが、私は普通食だったため
 2種類のメニューのなかから選択できた。妊娠中毒症の人は減塩食だったので
 選択はできないのだが…。
 入院して、じっとしてなきゃならない生活は非常に退屈。食べることくらいしか
 楽しみがない。

・消灯後の楽しみ

 普段フルタイムで仕事していた私は、平日の夜なんて、ドラマを見たことが無い。
 スマップの出てる番組、9時10時台なんて、家じゃまず見られない。
 私が入院していたのは、スマップの「夜空のムコウ」が流行っていたころだ。
テレビと食べることしか楽しみの無い生活って、いったいなんなんだー(;;)

・車椅子の生活、売店に連れていってもらったこと
 
 ここの病院、めっちゃ広い病院で、産科は別棟になっている。
 だから売店はすごく遠い。
 パパにわがまま言って週末には車椅子で売店まで連れてってもらう、のが私の大きな楽しみだったのだ。
 「
どーしても、アイスクリームが食べたいの!
 パパはヤレヤレという感じ。
 するとどこからか私の旧姓を呼ぶ人が。誰だ?そんな人はここにはいないはず。
 マスクした看護婦さん。マスクはずしたら、中学高校いっしょだったGちゃんだった。
 卒業してから一度も会ってないのに、よく私のことがわかったなーと思ったら
 私『すっぴん』だったんだ。
 うれしくてちょっと話し込んじゃいましたよ。
 今度会うときはちゃんと化粧しようっと。

・妊娠腺

 双子が入っているお腹、それはそれは巨大でした。103センチにまでなりました。(どーだー!)
 普段ウエスト60センチの私が、43センチ増ですよ。
 そんじょそこらの太っちょおじさんよりデカイ、ヒップサイズよりもデカイ。
 なんなんだ〜この体型〜〜〜
 でもね…妊娠腺最小限だったんだ。へへ自慢
 経産だったのが幸いしたのか、私の大柄な体格が幸いしたのか。
 お腹の皮が伸びきったおへそのまわりに、「どろぼうヒゲ」のような、輪の模様ができて、
 かなりマヌケな妊娠腺だった。写真?ナマ腹の写真なんて、おそろしくて
 そんなもんあるわけ無いッ!!!
 今は、もとどおり。ビキニも着られる(と思いたい)。でも見せてやんない。
 やだ。だめ。

・逆子を治す(直す)

 私のお腹の中の双子は、ずーっと逆子だった。しかも二人とも。
 いつも「回転しろ〜」と念じてはいた。
 将の時も、逆子体操をやったことがあったので
 ちょっと質問してみた。
 「
逆子体操って、やってもいいんですか?
 「
だめだめ!絶対だめ!安静にしててね。
 「
なんで、だめなんですか?
 「
破水しちゃうかもしれないから。絶対やっちゃだめよ。
 看護婦さんに釘を刺されてしまった… 

 32週を過ぎた頃、「お灸」をしてもらうことになった。
 足の小指のところのツボと、足の内側の「三陰交」(こういう字だったっけか)
 というツボに、熱いお灸をするのである。
 これで「逆子が治る?」らしいのだが、なにせ私は双胎妊娠。定員オーバーの子宮にいる
 子どもたちが二人とも回転するなんて…とも思ったが、私はわらをもすがる思いだった。

 
どうしてそんなに逆子じゃないのにこだわるか?って??

 逆子だと「帝王切開」なんですよ。自然分娩も出来るらしいけれど、分娩時間がかかるらしい、
 つまり難産を覚悟しなきゃならない。
 私は双胎妊娠。双子は、ひとりづつ産道をとおって出てくる。
 仮に自然分娩したとしたら、分娩時間がかかり、母体は苦しい。母体だけならどうにか
 頑張れても、その間の胎児も苦しいはずだ。一人目に時間がかかっている間、お腹の中で
 もう一人「早く出たい」と待っている胎児がいるのだ。二人目はさらに苦しいだろう。
 万が一、分娩中に心拍数でも下がるようなことにでもなったら…
 それなら、初めから「帝王切開しよう」って言われるのである。

 将は、自然分娩で生まれた子。しかも分娩台にあがって20分で産んだ。
 陣痛時間は長かったものの、ラマーズ法、パパの立会いで、とっても安産だった。
 「お産なんて、楽勝じゃん!」って思っていた。
 (将の生まれた日のエピソードもいつかはUPしたいな)
 そんな安産を経験し、安産体型の私が難産になる?そんなの許せん!と思ったのだ。
 私は双子を35週で出産する直前まで、毎日このお灸を続けたのだった…
 
 
・おひなまつり

 おひなまつりの時期だったこともあり、私は折り紙で雛人形などを作って遊んでいた。
 おとなりのベッドの方は、ご家族から桃の花の差し入れがあって、
 殺風景な病室に、まさに華を添えていた。
 ある週末、将とパパが(^^)にこにこしながらお見舞いに来た。
 大きな袋から出てきたのは、「紙の雛人形」。一応段飾りで、ひとりひとり千代紙の着物を着、
 なかなか可愛らしい。きくと、将とパパで夜なべして作ってくれたんだそうだ。
 同室の方たちからもなかなか好評。おひなさまを皆が見えるようなところに飾ってくれた。
 パパ、将、ありがと。

管理入院中のエピソード、まだまだ書きたいこともたくさんあるのですが、
ちょっと小休止です。書き溜めたら、またUPしますので、よろしく〜〜(^3^)−☆チュ

さあっ!いよいよ
双子誕生へ

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ほーむ